「こうしたら、こうなるだろうな」という「想像力」とそれにあらかじめ対処する「対応力」。
これができないのか、あるいは確信的に「わざと」やっているのかはわからないが、「想像力の欠如」が著しい人が、周りに増えているような気がする。
ちえらぼ2トークセッションの「ユニバーサルイベント協会」代表の内山さんとお話をしたときも、そんな言葉がでてきた。
例えば「目の見えない人が通る場所(誘導ブロック)に平気で自転車を止める馬鹿」。
自分が止めた自転車が、どういう場所なのか、ここに誰が通るのか、なんていう想像ができないから、あるいは「わざと」やっているから、後からそこを使おうとする人が通れなくなってしまう。
身近なことで置き換えてみれば「約束の時間を守る」なんてのもコレにあたる。
歩いて駅まで何分、電車待ちが何分だから、何時までに出れば間に合う、なんてのも想像、予測できることだし、それができない人が増えている、あるいは「起きてしまったことへのケア」すらできない人もいる。
遅れてしまったならば、あるいは遅れてしまいそうならば、その旨を相手に連絡すれば相手がムダな時間を過ごすことなく、それなりに対処もできるだろう。
「待たされている相手を想像」すればとるべき行動は見えてくるはずなのでは、と思う。
少しこじつけなのかもしれないが、携帯電話をはじめとするパーソナルコミュニケーションツールの普及に伴って、この「想像力の欠如」がひどくなってきたのではないか。
「通信が確立されている」ことを「相手とコミュニケーションが成立している」と勘違いして、通信手段が存在しているだけで満足していることが多くなってきたのではないか。
しかし、多くの場合、それは一方向の伝達でしかない。
Eメールや携帯電話のメールなどのメールコミュニケーションは一方向の伝達の代表例になる。
最近、多く聞かれるようになった「メールを送ったのになんで見ていないんですか!」なんていうのは本当は通用しない。重要な情報を一方的に送りつけておいて、その後の確認をしないというのは、明らかに送り手側の手落ちだと思うのだが、どうだろう(特定の意図を持って確信的に返信をしないときもあるのも事実だが)。
あんまりゲームにないことばっかり書いてやがるなぁ、なんて思ってる人もいらっしゃるだろうけれども、「想像力」は対戦ゲームにもかなり重要な要素であると自分は認識している。
ま、これについてはまたそのうち。
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