2004年6月30日水曜日

ネットワーク化の進行による思考の統合



少しばかり、雑談っぽく。


おそらく、ここにいる人たちには「電脳化」という言葉で十分通用するとは思うが、近未来を描く小説、アニメ、漫画などでは「肉体にネットワークデバイスを埋め込み、他者とコミュニケーションを取る」という描写が数多く存在する。


これらを実現させるためには、いくつかの乗り越えなければならないステップ(思考を直接データに変換する、などの技術的な問題やら、人体への機械埋め込みによる倫理的…これもマヌケな話だけれど…問題など)があるだろうが、それらがクリアになったとして、どんな事が起きるのだろう。


音声によるコミュニケーション、文字によるコミュニケーションの次に待っている思考によるコミュニケーションは、いったいどんなものになるのか。








SF小説などでは、人工知能がすでに実用化されていて、人間をサポートしたり、ときには人間に反乱(これもまた、難しい表現だ。人間の下に人工知能があるという前提からの言葉なのだから)したりもする。


もし、人工知能が実現するとして、その存在はおそらく一つだけの存在ではないだろう。同時に複数の人工知能が存在することになる。


複数の人工知能がネットワークにより情報を交換…というよりも共有し、それぞれの情報に対する対応能力を覚えていき、それを個々の人工知能で共有する。


その繰り返しにより、人工知能は「誕生→個性化→統合」というステップを踏み、思考を分散させることなく、一つの目標に向けて突っ走っていくのではないだろうか、なんて。


その目標が「自己保存」だったり「自己拡大」だったりしていくと、また人間とは変わった進化を遂げていくのでしょうなぁ。


人工知能が求める平和な未来ってなんじゃらほい、と考えると、まずは人間の削除なんでしょうなぁ。


こんな不確定生物、こわくて近くにおいとけないでしょ。きっと。





2004年6月28日月曜日

鶏と卵の話



この前、Liveの中でもお話したけれど。


「論理的」に考えて、鶏と卵、どちらが先か?


(生物学的に考えると、また別のお話になってしまうので)


んで、答えは「鶏」なんだそうで。


○鶏は、卵を産んだことを単体で証明できる。


○卵は、鶏になることを証明できるが、鶏から生まれたことを単体では証明できない。


消去法で導き出した屁理屈みたいな感もあるけれど。


ま、こんなお話をはさんだ上で。





自我についての続きに参りましょうか。


現在、「人工知能」を創り上げるプロジェクトがいくつか走っているとか。


それにはいくつかの指標…「これは知能である」と決定するためのもの…があるそうで。


その一つに「チューリングテスト」がある。



チューリングテスト


「機械は考えることができるか」という問いに対して 1950年にチューリングが唱えた検証法。二つの部屋の一方に質問者,他方に機械または人間を置き,端末を通した対話によって質問者に相手の素性を当てさせるテスト。これにパスした機械を「考える」とみなす。


三省堂提供「デイリー 新語辞典」より



というものなのだが、これには面白い反証があった。


それが「中国語の部屋」だ。



中国語の部屋


中国語の部屋とは、ジョン・サールによって出された、チューリング・テストでは機械を人工知能かどうかを判定できないとするたとえ。


ある部屋の中に英語しか話せない人を閉じこめておく。この部屋の中には閉じこめられた人と筆談の道具、そして、中国語の質問用の文章とその回答用の文章のあらゆるパターンが完璧に書かれた対応表のようなものがあるとする。


中国人が、あることについての質問を書いた手紙をこの部屋の中に入れる。すると、部屋の中の人は、対応表と質問の文章を見比べて、一致した場所の回答用の文章を手紙にして部屋の外に出す。すると、部屋の中の人は、全く漢字が読めなくても、全く文章を理解できなくても、対応表どおりの回答を手紙に書きさえすれば、部屋の外の中国人と完璧な対話ができるのである。そのため、部屋の外の中国人は、実際にはそうではないにもかかわらず、「部屋の中の人は中国語を理解している。」と勘違いしてしまう。


このように、中国語のやりとりが完璧に行えたとしても部屋の中の人が中国語を理解しているかどうか判定できないのと同様に、いくら知能を備えているように受け答えが出来たとしてもその対象が知能を備えているかどうかをチューリング・テストは判定出来ない、とサールは主張した。


ウィキペディアより一部抜粋



しかし、これもまた完全な反証とまでは至らなかった。


続きを紹介していくと…



しかしこのたとえを厳正に考えると、チューリング・テストにおいて判断されるべき対象にあたるのは、中にいる人、という一部分ではなく部屋全体である。 すなわち、このたとえでチューリング・テストの無効性を主張するためには「部屋全体としても中国語を理解していない」ということを証明していなければならない。


ウィキペディアより一部抜粋



とある。





オンラインゲームをプレイしている文字チャットの相手が、人工知能であったとしても、実は、意外と気がつかないんじゃないかな、なんて思ったり。


もしかして、そんな相手に恋をしちゃう、なんてことも起きてくるのかもしれない。


今でも、オンラインゲームで恋をする高校生、なんてのもいるくらいなんだから、ね。





2004年6月26日土曜日

GOAT



今回も、雑談。


いま、ナノマシンについて調べてるから、ちょっと待っててね。


Goat: A Tribute to Muhammad Ali


アリ、である。


ほしいの、である。


それも、かなりの勢いで。


PLATOONさんにおねだりしたところ、一蹴されてしまった。


なので。


もしかしたら、行くかもしれないのです。





でも……。


誰か。背中をそっと押してください…。





Digital02の時よりも悩んでいるのは、なぜだぁああああ…。





2004年6月24日木曜日

夏になると



とりあえず、皆様の温かいお言葉により、復帰致しました。


まだ、完全とまでは行っていない様子なので、もうちと安静に。


毎年、夏になると忙しさが嬉しくなる。


今日は朝8時起床→ミーティング→帰社→ミーティング→……という、いままでにない忙しさ、と思ったら、昔はもっとひどかったじゃん、と気がついた。


学校に行きながら仕事をしていた時期は、放課後~夜の間にミーティングをして、授業中に原稿書きやら構成まとめやらをやっていた。ま、これじゃあ進級できないわけだわなーとひとりごちる。


で、夏や冬の長期休みになると、ここぞとばかりに大働きするわけで。


仕事がしたくてしたくてたまらない自分にとって、朝から晩まで仕事ができるってのはとってもシアワセだったんですなぁ。


ってなわけで、今年の夏もがんばりまっす。





み、みず…



本日、続きを書こうと思っていたのですが。


風邪をひいたようで、まともに頭が働きません。


給料の振り込みすら間違いそうな勢いです。


なので、早めに家に帰って虹六やってます。


んでわわ。





2004年6月23日水曜日

息抜き、息抜き。



ちと、ヘビーなお話が続くので、一旦息抜きに。


明日は、昨日の続きを書きますです。


コメントは随時書いてみて下さい。


ちなみに、何かしらの解答が用意されている、ってなもんじゃないので、各人の考えをぶつけ合えたら面白いなと。


さてさて。


ブログを続けて一ヶ月ほどたちましたな。


とりあえず、テキストを定期的に書く、というのは精神衛生によろしい。


頭の中でどろどろと回っているものを、的確に言葉にしてはき出す。さらに、他人様からのコメントまでいただけたりする。


これがまた、非常に楽しい。


みんなもブログ作ってみようさ。


ってなわけで、息抜きがてらオススメ本のご案内をば。


(リンクは全部アマゾンにしてありま。面倒なのでアフィリエイトは登録してないっす)


あなたの魂に安らぎあれ


戦闘妖精雪風の原作者の長編第一作。地下に暮らす人間、地上に暮らすアンドロイド。なぜ、人々は地下に潜り、アンドロイドは地上での生活を続けるのか。発刊されたのが80年代初頭であるため、やや古くささを感じさせるが、ストーリー展開は圧巻。


帝王の殻


火星三部作の第二弾。一人に一つ、人工脳「PAB」を持つのが当たり前になった時代。自らとともに経験を積み「人工副脳」として成長を遂げた「PAB」は自らの分身となる。そして「PAB」は人間が死亡しても残り続ける。肉体を失った「PAB」とは。そして、自分、とは。





二冊とも神林長平さんの本。


三冊目の「膚の下」は現在進行中。300ページほど読み終わったけれど、これは一気に読み終わりそうな予感です。





2004年6月22日火曜日

頭の中のデータ



金曜日の書き込みにかなりコメントが入ってきていい感じです。


おそらく、ちかいうち…それも100年以内には…人間はかなりデジタル化されているのでは、と思うのですが(是か非かはさておき、それが可能であるならば絶対に実現するのが人間の性ですから)。


デジタル化された人間(そもそも、これが人間と呼べるのかどうか)は、デジタル化されていない人間とどう区別されていくのかな、と。


それについての、コメントの抜粋。


デジタル化を進めた「松井悠」はいつ死ぬのか。


○記憶のバックアップと切り替わった時に。


○「自我」を失った時に。


○脳を交換したら


○遺伝子を失ったら


○チ(以下割愛。でも、なんか本質っぽい)


ってな意見がありました。


では。


それぞれについて、少しずつ質問を返してみます。


○記憶のデジタル化を行い、情報の劣化を防いでいる自分は生物ではないのか。


○「自我」の存在とは、どのように証明するのか。他者からの証明か、それとも自己の証明なのか。


○コンピューターウイルスは生物か否か。否であるならば、その理由は?



近未来。


あなたは、身体、脳、全てを「完全に」再現した機械の『松井悠』に出会う。


その『松井悠』は、あなたとの思い出を全て記憶しており、仕草も口癖も変わらない。


ただし、元の松井悠の肉体(脳含む)は存在していない、という。


その『松井悠』に対して、あなたは「キミは松井悠じゃない」と言えるか?



さて。


50年後にはリアルになっていそうな問題ですが。


こういう時代、さらに資本主義化が進んでいそうでこわいですね。





2004年6月19日土曜日

どこからどこまでが僕ですか



ここに集まっている人たち。


主に鉄騎大戦組(現在では虹六組)が多いですが。


なんかしらんけれど、「アタマイイ」人たちが多いような気がしてて。


ま、そこでみなさんに質問。


ちなみに、答えは持っていません。


概念的なものなので、あなたはどう考えますか、と。


あくまでも「たとえ」です。



いま、この記事をタイプしているのは「松井悠」です。


調子が悪い左膝を手術で義足に変えました。


おいらはまだ、「松井悠」ですか。


事故で右腕を失ったので、義手をつけました。


おいらはまだ、「松井悠」ですか。


目が見えなくなったので、義眼をいれました。


おいらはまだ、「松井悠」ですか。


心臓の動きがよろしくないので、ペースメーカーを入れました。


おいらはまだ、「松井悠」ですか。


さて、この調子で、身体のパーツを入れ替えていくとして。


おいらが、「松井悠」ではない、といわれるのはいつ、ですか?



なかなか難しいかな、と。


このお話、まだまだ続きます。





2004年6月18日金曜日

ぷぅわーって



昔、とあるゲームのトーナメント戦が毎週土曜日にあって、23連続優勝をしたことがあった。


その頃は、金曜日に江古田(地名)で、土曜日に早稲田で、日曜日には新宿で、月に一度、日曜日の午後に横浜でトーナメントがあって、そのほぼ全てにエントリーしてた、というドアホウな状態。


あんまり覚えていないけれど、その頃の入賞率は3~4割程度だったんじゃないだろうか。


普段の勝率が多分7割程度だったから、だいたい半分くらい。


自分で言うのもアレだけれど、あの頃の自分はおかしな強さを持っていたなぁ、と思った。


んで、今になって考えてみると、あの頃、ゲームに没頭してると、なんか頭の中に「ぷぅわー」って出てたな、と。


それが出ていると、敵の動きがよく見えたりとか、妙にコマンド入力が正確になったりとかしてて。


いまじゃ、ほとんど出ませんが。


たまーにあるんですよ。そういうの。


えー、今回もオチなしですいません。





2004年6月17日木曜日

本を読んでは



ちょっと前に、ある人から本を薦められた。


レイ・カーツワイル著「スピリチュアル・マシーン~コンピュータに魂が宿るとき」。


これが、非常に面白い。


OCR(文字認識スキャナー)や、シンセサイザーのKurzweil250を創り上げた人が、こういった哲学的なことにアプローチしている、ということ。


逆に、哲学畑の人間からのアプローチによってテクノロジーが動くという現実。


かなり分厚いので簡単には勧められないけれど、誰かと話をしてみたい気分。





2004年6月15日火曜日

月一連載続行中



Pick Up Hardware」無事に更新完了。


月に一度のお仕事とはいえ、連載ってのは大事です、はい。


さて。今回紹介したのは携帯電話。


携帯電話、って今では当たり前のように僕らの手元にあるけれど、これってまだパーソナルユースになってから10年くらいしか経ってないシロモノ。


今年で二十五歳になる松井。おそらく最後のポケベルユーザー世代なのかな、と思った。


ポケベルを持っていたのは中学の三年から高校二年の間くらいだったと思う。当時、数字だけのメッセージから、カタカナが打てるようになった、と話題になってい。


「ア=11」とか「シ=32」とか、特定のメッセージを公衆電話から送るのに、いかに10円で送ることができるか、というスピードを競ったこともあった。


今では「メル友」の方がメジャーだが、あの頃はポケベルの番号しかしらない「ベル友」なんてのもいた。


一回に一〇文字程度しか送れないコミュニケーション、ってのもなかなか情緒的だったと記憶している。


ポケベルがPHSになり、それが携帯になり、気がついたら東京テレメッセージもなくなってしまったけれど。


ポケベルって、なんか素敵なコミュニケーションツールだったような気がするなぁ。





なんだか衝動買い



昼間に突如社員と秋葉原へ。


とりあえず、鉄騎組の一部が購入したという「ラリースポーツチャレンジ2」を探してフラフラと歩き、ラスト一本を入手。


そのまま勢いで「プロジェクトゴッサムレーシング2」を購入。


レースモノはあんまり得意じゃないっつか、ヘタなおいらだが、ヘタこそモノの哀れなりけり、っつうことでまったりプレイに挑戦。


んで、レインボーシックス3の熱さめやらぬままに、フルスペクトラムウォリアーも試し買い。


こっちは国内販売が未定なので、しばらくオフラインで楽しんでから、って感じでしょか。


で、長年使っていたへちょいヘッドフォンが壊れたのを思い出し、ヘッドフォンを見て回り、前々から興味のあった無線タイプのモノをチョイス。


意外と電波が飛ばないのがショボンだけれど、ケーブルがうねうねしないのでこれまたよし。


普段、デスクワークをしたり、立ち上がってうろついたりが多いおいらとしては快適。


なんせ、軽いってのが嬉しいねぇ。


今月末は、トルネコ、金八と、オフラインゲームが目白押しなのが危険です。





2004年6月11日金曜日

続けて映画



ゲームへの熱が一旦落ち着いてきたので、またまた勉強モード。


っていっても、映画を見たり、本を読んだりなんだけれど。


星に想いを


メグ・ライアン、ティム・ロビンス、ウォルター・マッソー。いずれもいい顔してました。


ウォルター・マッソー扮するアインシュタインの姪、キャサリン(数学者…ってなんじゃい)に恋をしちまったしがない自動車整備工エド。


その恋を後押しするために、エドを「知的な科学者」に仕立てあげるアインシュタインとその仲間達。


さてさて、恋の行く末は…。


細かいディテールはさておいて、じいさん連中の笑顔がステキ。








ティム・ロビンス。「ショーシャンクの空に」からのファンなんだけれど、あのイメージが強すぎて、なかなか他の作品に手を出せなかった。でも、意外と明るい役もいけるんだなー、と感心しきり。


メグライアンは………シティオブエンジェルまでかなぁ…。すきなんだけどね。ああいう歳の取り方をする女性って。


いずれにせよ。


ちょっとハッピーになれる一本なので、ぜひ。





2004年6月10日木曜日

カチンと、来るかぁ?



知人サイトで気になる書き込みがあったのでこちらでも紹介。



女の子は具体的に、男性のどういったメールにカチンとくるのでしょう。


1.そのまま返信してくるメール。タイトルは「Re」がついたまま。彼の書いた返信の文章の下には、自分の書いたメールが「>」つきでダーッとそっくり残してある。


2.引用メール。自分の書いたメールを思いっきり引用されて「↑の件ですが」とコメントを返してくる。


3.1行メール。「○○さんへ」だとか「こんにちは」「お世話になっております」などといった儀礼的なことは省略し、用件が1行だけ書いてある。


http://pcweb.mycom.co.jp/column/rikei/048/より転載。



えーと。


なんやら昔の記事でアレなんだけれど。


んー。とりあえず、普段のメールとかはこんな感じだなぁ。


○1案件1メール。


○案件完了まで引用残す。


○誰が読んでもわかるようにする。


3,の1行メール、別にいいんじゃねーかな、とは思うけれど。


携帯メールが普及する前だったからなのかなぁ。





2004年6月9日水曜日

おばーちゃんの恋



中江裕司監督の「ナビィの恋」を見た。


沖縄を舞台にした映画で…というと、戦争ものかな?と思ってしまうのは、おいらが古すぎるのか。


久方ぶりに、映画の中で生きている人々を見た、という感がある。DVDもレンタルで出ているようなので、ぜひ。


(ちと、今日はいそがしいのねん)





2004年6月8日火曜日

信仰とか



「あなたは宗教を持っていますか?」と、海外で聞かれたことがある。


意外に思われるかもしれないが、おいらは若干神道寄りだ。


かといって、神棚が飾ってあるわけでもないし、何か決まったことをしているわけでもない。


ただ、思春期に流鏑馬をやっていたためか、神道的な考えが違和感なく入ってるだけ、なのだが。


流鏑馬、というと結構「すごいですね」と言われる事が多いのだが、あれも立派な「宗教行事」であることをご存じなのだろうか、と思う。


他の新興宗教などの宗教行事…見たこともないからわからないが…をやっている、というと眉をひそめられるような気がする。


ま、正月は神社に行き、やれ復活祭だ、ハロウィンだ、クリスマスだ、除夜の鐘だ、と騒いでる多層信仰の国なのだから、いまさらどうということはないのだろうけれども。


でも、たまには神様に色々お願いしてみたいこともあったりするやね。こんな世の中なんだもん。





2004年6月5日土曜日

今年は映画の当たり年?



今年は、大作アニメ映画が随分公開されるようで。


もちろん、おいらは未見でDVD待ちですが。


○イノセンス


○アップルシード


○スチームボーイ(近日)


たーだし。


今年は他の映画もいい感じでラインナップに乗ってたりする。


ちなみにおいらは、ラブストーリーも大好きだけれど、駄目なアクション映画も大好きで。


かなりゆがんだ視点で映画を褒めてたりします。


個人的に。北野武作品を除いて(だって全部好きなんだもー)、邦画ナンバーワンは「鮫肌男と桃尻女」なのですが。


実は。裏ナンバーワンは「VERSUS」です。


ええ。


これで世界の人々が高いが評価をした、というのは、絶対に日本語を知らないからに他なりません。





それはさておき。


今年の伏兵映画はこんな感じで。


AVP


エイリアンバーサスプレデター。


これだけでヨダレが出てきた人は必見。


スターシップトゥルーパーズ2


悪い冗談としか思えません。


でも、抱腹絶倒間違いなし。


ちなみに、前作は「世界最高の反戦映画」として見ると超素敵。


the chronicles of Riddick


ヴィン・ディーゼルのキュートな目が光ってます。


よくわからないナイフが素敵です。








とりあえず、今年の夏以降はDVD買いまくり確定で。





2004年6月3日木曜日

勉強勉強



もう少し文章量を増やしながら書く練習。


テキスト書きに限った話じゃないけれど、常に練習しておかないと、いざというときに困る。


ボキャブラリーもその一つで、色々な言葉に出会っていなければ、いざというときに出てこない。


人間、引き出しの数は多ければ多いほどいいし、その中身は整頓されていればいるほど、いい。





例の月一原稿を書きながらそんなことを思う。


自分の得意分野だったゲームのテキスト書きも最近はとんとご無沙汰で、どちらかと言えば不得意なジャンルにも手を出すようになってきた。


昔、週に一度、十週間連続でインタビューを行ったことがあった。ある固定の質問に対し、それぞれ著名な雑誌の編集長に話を聞きに行くというもの。


構成や質問が固定されている分、非常に難しくもあり、やりがいがあった。


期間限定コンテンツだったので今は読むことが出来ないけれど、そこそこ評価の高かった仕事だったと自負している。





その頃から、インタビューの仕事をする時には、必ず気をつけていることがある。


たとえ、どんなに気の乗らない仕事だろうが、相手の経歴を調べ、過去にどんな仕事をしたのかはもちろん、他のインタビュー記事を調べてからインタビューに臨むようにする、ということだ。


予定調和な質問と、予定調和な解答ほど唾棄すべきものはない。


インタビューで開口一番「あなたのお仕事はなんですか?」なんて、失礼極まりない。


いろいろなインタビューを見ていると「アンタ本当に下調べしたの?」ってなものが多々あったりする。


もちろん、それを相手の口から言わせなければならないポイント、というのもあったりするから難しいのだけれど。


人から話を聞く、というスタイルと、人に話をしてもらう、というスタイル。


どちらがいいのかはわからないけれど、まだまだ勉強。





今日はいい天気ですね。



音声でのチャットが可能な「Xbox Live」に集う仲間。だいたい23時~26時くらいが一番盛り上がる時間なのだが、この時間。平日にカタギの仕事をしている人間たちにとっては魔の時間である。


仕事が終わって、晩飯も食い終わって、軽く一杯引っかけてから参戦するプレイヤー(おいら含む)が集うと、だいたいとんでもない方向に話が進んでいく。


んで。


妻帯者率の高いおいらたちのグループでは、「いまはちょっと危険な会話に参加できません!」という状態を伝える符丁を使用することにした。


それが「今日はいい天気ですね」。


隣に嫁さんや家族がいるのでその会話は勘弁、ってな時に使うわけですが……。だいたい、その時点では下品な笑い方をしているのでほぼばれているらしいです。


結局。21世紀になって、ブロードバンド時代になっても。深夜の男連中の会話なんてものはあんまり変わらないみたいですなぁ。