2018年3月25日日曜日

ゲームに関連する書籍のあれこれ

例年と少し違っているのは、3月なのにバタバタとお仕事が走っていること。

ここ5~6年は、12月に大きな仕事が終わって、一息ついて、「ああ、そろそろ働かないと会社がマズい」とじたばたと動き始めて、というのが3月くらい。
それから、ゴールデンウィークあたりから急激に忙しくなって、東京ゲームショウあたりから何がなにやらわからなくなって、それで12月を迎えて……というループが、何ラインかで同時に仕事が走っているおかげもあってか、「いつも何かやっている」感があって、(会社として)とても助かっている。

とはいうものの、何かをやっている間は、それ自体で満足してしまっていて、新しいインプットを怠ってしまうこともしばしばある。
仕事をしながら何かを学ぶのも悪くはないけれど、さすがにそれも効率が悪いときもある。さすがに昔みたいにがっつりと時間をとって何かを学ぶなんて贅沢はできないから、その分こまめに本を読むようにしている。

最近、ゲーム系の本では、コレを読んだ。





軽いモノもあれば、結構がっちりとしたモノもあるが、いずれにせよ本を読むこと自体が好きだし、字面を眺めているだけでもいろいろな気づきに出会うことがある。

『ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム』は、「ゲームっていったいなんだろう」というところが気になったなら一読してみると良い。ちなみに僕は、書籍版を買って途中で挫折し、今回はKindle版で読み直した。

そして、いつか、いつか、と思いながらまだ上巻の1/3程度までしか進んでいないのがコレだ。


ユニット1:核となる概念

第3章 意味ある遊び
第4章 デザイン
第5章 システム
第6章 インタラクティヴィティ
第7章 ゲームを定義する
第8章 ディジタルゲームを定義する
第9章 魔法円
第10章 主要図式

ユニット2:ルール

第11章 ルールを定義する
第12章 三つの水準のルール
第13章 ディジタルゲームのルール
第14章 創発システムとしてのゲーム
第15章 不確かさのシステムとしてのゲーム
第16章 情報理論システムとしてのゲーム
第17章 情報システムとしてのゲーム
第18章 サイバネティックシステムとしてのゲーム
第19章 ゲーム理論としてのゲーム
第20章 対立のシステムとしてのゲーム
第21章 ルールを破るということ 
上巻の章立てをちらっと見ただけでもクラクラしてくる。
とはいうものの、こういうのをアタマのどこかに置いておくだけでも、ゲームイベントをやる上で見えてくるものが少し違ってくるのであれば、 それはやっておいて損はないだろう、と思う。

来年の今頃までには、読み終えていられるといいな……。


2018年3月18日日曜日

2017年にやってきたことと、2018年にチャレンジしようとしていること

2017年のまとめ

Red Bull 5Gのファーストシーズンが昨年でいったんおわって、さて、これからどうしよう、なにしよう、といろいろと年末年始の間に考えてみたところ、まずはgroovesync gaming の体力をつけていこう、ということになった。

・頭数が足りていない
・非効率的な仕事をしている

これを両方とも解決すれば、仕事がまわらない、という問題はまずクリアになるので、まずは「一緒に働いてくれそうなひと」を探しながら、「どうやったら大量の仕事を効率的にまわせるか」を考えて。そんなチームを1年かけて作っていきながら、2年目に現場投入して、3年目に形にできたら、結構おもしろい組織になるんじゃないかなぁ、と。
まぁ、めんどくさくなったら、圧倒的に属人的に仕事をしまくるチームにしちゃって、オラオラやっていくのも悪くはないけれど。
というのが、2017年1月のポスト。

それで、実際に1年くらいかけてどんなことをやってきたのかな、というと、年間を通じて50くらいの現場を踏んで、その中で育ったり、そうでなかったり、というのが少しずつ見えてきた。

東京ゲームショウで3ステージをやったり、Red Bull Tower of Prideをやったりしながら、LeagueUを年間通じて回していったり、その間に配信をやりつつ、Red Bull Gaming Sphere Tokyoの準備をしていくのは正直なところかなりしんどかったと思うし、現場にいた連中は相当キツかったんじゃないかなぁ、とも思う。

じゃあ、「どうしたら効率的に回せるのか?」というのが課題になるわけだけれども、いきなり「今日から効率的にしましょう」といってすぐに言うことを聞くような連中でもない、と(僕自身が勝手に思っている)いうことで、まずは「コレもうそろそろきついんじゃないすかね」というラインまで持って行きつつ、その中で「こうしたら効率的になるんじゃないの?」という提案をぶつけていくしかないのかな、と。そもそも、そんなやり方は非効率であるのも重々承知の上ではあるけれど(こうしないとこいつらは言うこときかねぇんだからしょうがねぇだろ、という気持ちも若干ある。このあたりは、きっともう少し上手いやり方があるんだろうなぁ)。

2018年にナニをするのか


2017年の当初は、ディレクターのラインが1.5本しかなかったけれど、今は、それが4.5本くらいまでには増えてきたのかな、というところ。
いわゆる「僕が求めるゲームイベントのレベル」を、僕がいなくても維持できるようになってきた、ということになる。

ここで誤解の無いように言っておくと、僕が求めるのは「すべての人間を満足させるゲームイベント」ではない、ということ。ただ、最低限おさえておかなければならないさまざまなこと、そこをクリアした上で運営ができているかどうか、そこがポイントになる(そこには、パブリッシャーやデベロッパー、プレイヤー、オーディエンスそれぞれに対して、僕が勝手に引いているラインがあるけれど、そのラインも時と場合によってふらふらと動いているので明確なわけではない)。

今まで自分でディレクションをしていた部分をお任せできるようになると、今度はプロデュース業に専念できるようになってくる。
そうすると、「こういうアプローチをしてみたい」、「こういうやり方を試してみたい」という欲求が出てくる。

いま、アタマの中にあるのは「ゲームイベントをどこまで広げられるのか」ということ。
何がどう、ということではないのだけれど、常にこれをアタマの片隅におきながら、新しいことをやっていきたいなぁ、と。



その中の一つが映像だったり、配信だったり。


まぁ、まだまだ練り込まないといけないことがたくさんあって、それはそれで楽しいわけです。