2006年3月16日木曜日

コメントを頂いたので…



鉄拳2の頃のお話をしてみようかと。


あのころは、プレイマックスがあって、まさに「聖地」と言われるのが当たり前なんじゃないかな、ってくらいに盛り上がってた。


おそらく、インターネットもまだそれほど普及していなかったせいもあってか、攻略ネタやテクニックはほとんど現場に足を運ばないと身につけられなかったせいもあったと思う。


鉄拳2時代のトップというと「新宿平八」、「サンポール平田」、「ぜんじロウ」、「三川レイ」が関東勢、関西では「枚方カヅヤ」や「RUK」の三島系が抜きんでていたと記憶してる。


あのころは、毎月第一~第三の土日で予選を開催して、最終月でプレイマックス杯を開催、その大会に優勝すれば「n社公認のつわもの」に認定をされるというイベントも行っていた。


毎週何曜日に集まろう、っていうレベルじゃなくて「行けば必ず誰かがいる」的なコミュニティの場にもなっていたし、あの頃の自分たちの「鉄拳をプレイすること」のプライオリティの高さは結構すごかったのかな、とも思ってる。たぶん、今のトッププレイヤーと、そこら辺はあんまり変わってないのかもしれない。コミュニティ自体も、ゲームセンターごとにできあがっていて、今じゃお笑いぐさの「プレイスタイル論争」もまだまだ盛り上がる話題の一つだった(あくまでも推測でしかないけど、鉄拳2自体「下がれば強いし、強い技だけ使っていれば勝てる」程度の調整しかされていなかったので、プレイヤー側から自発的に「負けても楽しめるプレイで遊ぼうよ」という動きがあったんじゃないかと思う。勝利至上でプレイするには、鉄拳2はおおざっぱ過ぎた)。


鉄拳2がPSに移植される、みたいな発表があった頃と前後して……ちょっと記憶があやふやなのだけれど、たぶんその頃に鉄拳攻略集団「卍党」ができあがったような記憶がある。


当時のゲーム攻略本や攻略誌は粗雑なものが多くて、メーカーからの資料を丸写し、誤植もそのまま流し込んで作ってることが多い中で、「ちゃんとプレイヤーが攻略してますよ」というのを売りにしたのがThe Playstation(ザ・プレ)の編集の方だった。


今じゃ当たり前のようなお話だけれど、あの当時でそのポイントに着目したのは本当にすごいな、って思ってた。


雰囲気のところで言うと、結構喧嘩も多かったような。ゲームバランスがゲームバランスなだけに。ただ、サンポール平田さんをはじめとするトップの人たちは見慣れないプレイヤーがプレイマックスにいると積極的に話しかけて、どんどん人の輪が増えていったのが印象的。常連が常連をどんどん生み出していって、話しかけやすい雰囲気作りをしていたのもあの頃の印象として強いかも。





んー、意外と話し始めると長いなぁ。


続きはまた今度。


>ラッドさん


なんか「あの頃はよかったね」的な話に終始しちゃうのは、たぶん現役のプレイヤーじゃないからだと思います。


それに、時間が結構たってるので美化しちゃってる部分もあるかも。





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