金曜日の書き込みにかなりコメントが入ってきていい感じです。
おそらく、ちかいうち…それも100年以内には…人間はかなりデジタル化されているのでは、と思うのですが(是か非かはさておき、それが可能であるならば絶対に実現するのが人間の性ですから)。
デジタル化された人間(そもそも、これが人間と呼べるのかどうか)は、デジタル化されていない人間とどう区別されていくのかな、と。
それについての、コメントの抜粋。
デジタル化を進めた「松井悠」はいつ死ぬのか。
○記憶のバックアップと切り替わった時に。
○「自我」を失った時に。
○脳を交換したら
○遺伝子を失ったら
○チ(以下割愛。でも、なんか本質っぽい)
ってな意見がありました。
では。
それぞれについて、少しずつ質問を返してみます。
○記憶のデジタル化を行い、情報の劣化を防いでいる自分は生物ではないのか。
○「自我」の存在とは、どのように証明するのか。他者からの証明か、それとも自己の証明なのか。
○コンピューターウイルスは生物か否か。否であるならば、その理由は?
近未来。
あなたは、身体、脳、全てを「完全に」再現した機械の『松井悠』に出会う。
その『松井悠』は、あなたとの思い出を全て記憶しており、仕草も口癖も変わらない。
ただし、元の松井悠の肉体(脳含む)は存在していない、という。
その『松井悠』に対して、あなたは「キミは松井悠じゃない」と言えるか?
さて。
50年後にはリアルになっていそうな問題ですが。
こういう時代、さらに資本主義化が進んでいそうでこわいですね。
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