2004年6月22日火曜日

頭の中のデータ



金曜日の書き込みにかなりコメントが入ってきていい感じです。


おそらく、ちかいうち…それも100年以内には…人間はかなりデジタル化されているのでは、と思うのですが(是か非かはさておき、それが可能であるならば絶対に実現するのが人間の性ですから)。


デジタル化された人間(そもそも、これが人間と呼べるのかどうか)は、デジタル化されていない人間とどう区別されていくのかな、と。


それについての、コメントの抜粋。


デジタル化を進めた「松井悠」はいつ死ぬのか。


○記憶のバックアップと切り替わった時に。


○「自我」を失った時に。


○脳を交換したら


○遺伝子を失ったら


○チ(以下割愛。でも、なんか本質っぽい)


ってな意見がありました。


では。


それぞれについて、少しずつ質問を返してみます。


○記憶のデジタル化を行い、情報の劣化を防いでいる自分は生物ではないのか。


○「自我」の存在とは、どのように証明するのか。他者からの証明か、それとも自己の証明なのか。


○コンピューターウイルスは生物か否か。否であるならば、その理由は?



近未来。


あなたは、身体、脳、全てを「完全に」再現した機械の『松井悠』に出会う。


その『松井悠』は、あなたとの思い出を全て記憶しており、仕草も口癖も変わらない。


ただし、元の松井悠の肉体(脳含む)は存在していない、という。


その『松井悠』に対して、あなたは「キミは松井悠じゃない」と言えるか?



さて。


50年後にはリアルになっていそうな問題ですが。


こういう時代、さらに資本主義化が進んでいそうでこわいですね。





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